入門!節句祭──林宮司にきいてみよう!
これも、わたしがいまから20年以上まえにつくっていたミニコミ誌からの再録でして、宮司といっても現在の宮司さんではなく、1994年当時の林宮司にお話をうかがったときのものです。
林宮司は、このときは神職に就いておられましたが、実はわたしが小学校4年のときの、となりのクラスの担任の先生でした。
だいぶコワい先生で、どつかれたこともあるんですが、大人になってから会ってみると、とてもユーモアたっぷりの、やさしい宮司でした。
そこで、北条節句祭りについての疑問のあれこれを、やさしく解説してもらうことにしました。いじわるな質問もありますが、最後までニコニコしながらまじめに答えていただきました。
小学校の先生として見てたのはたった2、3年でしたが、いつまでも先生っていうイメージは抜けないもんです。
ほんで自分も、いつまでもやんちゃなアホガキのままで変わってないことを再確認して、なんか安心。自分に笑えます。
まずはどうでもええ話
俗に「えべっさんが二日とも晴れたら節句祭の天気も良い」ということを言う人が、たくさんいてはるんですけど、これは本当なんでしょうか?
そういえば今年はえべっさんの天気がよかったから節句も絶対に晴れると言うてる人がおってやな。
それについては?
うーん、そうらしい・・・・。それくらいしか知らん。
実際に確率でいうとどのくらい当たってるもんなのか、調べてみないといけませんね。
ぼくはあんまり意識してないから記憶にない。ただ、それは随分と以前から言うてる人はいる。
手元の記録ではね、5年まえ(1989年・平成元年)に祭が二日とも晴れやったんです。それ以降は4年連続で雨が降ってまして、二日とも晴れいうのんはないんです。
今年はえべっさんは二日ともええ日和やったんですけど、えべっさんが二日とも晴れたんは平成元年以来やということをニュースで言っていたのをぼくの友人のSくんが聞いて教えてくれました。
つまり、少なくともここ5年間は祭の天気とえべっさんの天気は一致しているらしいんですよ。
ぼ、ぼくは毎年、え、えべっさんにはお参りに行ってるんやけどな。なんせ、意識してないから・・・・。
これも今後の課題ということにしとかなあきませんね・・・・。そやけど、もし今年の節句が二日とも晴れたら、かなり当たる確率は高いっちゅうことは言えそうですね。
・・・・。(←そんなことどうでもええやんけ顔)
山高帽の謎
区長さんの格好なんですけど、山高帽子にステッキ持って、というのは850年の伝統の節句祭にはぜんぜん似合ってないように思うんですが・・・・。
それも諸説いろいろあるんやけども、いちばんもっともらしい説を言うと、例祭は非常に大切な式やから、正装をするということになっとったんやと思う。そやから昔は紋付羽織袴やったんやろうと思うんやな。それが戦争中、祭が行なわれへん時期があったんやけども、戦後になって復活したときに、正装の形というのはどんなんやろか、と検討されて、ああいう形になったんと違うかなと思う。当時の紳士の格好が、ああいうのやったんやろう。イギリス紳士なんかの真似をしたんとちゃうやろか?
けど、今となっては陳腐でしょ。羽織袴に戻した方がええんちゃいます?
そやけど、あれは全国的にも珍しいからな。それを目当てに写真を撮りに来る人がいるくらいで。
当時の北条には、流行の先端を行くような人がいたんでしょうか?
かもわかれへんな。けど今は、あんな帽子がないから、手に入れるのに困るらしい。
なるほど。いまどき、あんなん作る人、いてませんもんね。
宝塚にあるんやて。宝塚は歌劇とかで使うシルクハットみたいなん作りよるからな。
実際に宝塚で買ってくるんですか?
買ってる人が多いみたいや。
祭の季節
北条の節句祭は、なんで春にやるんですかね?
それはなかなかいい質問ですね。
あー、どうも。播州では、他の祭のほとんどが秋に集中してますよね。そやのに節句祭は春にやる。
そのせいで、サンテレビ恒例の名物番組「播州の秋祭りシリーズ」の仲間に入れてもらえなかったり、浜手の祭との相乗効果による見物客増が期待できなかったりといったデメリットがあります。
これは一体どういうことなんでしょうか?
それはな、ひとことにまとめるとな、住吉神社の神さまというのはな、「お祓い」(おはらい)の神さまってことなんや。
どういうことです?簡単すぎて説明になってませんけど。
いや、これがな、簡単そうでなかなか難しいんや。
お祓いっていうのが祭の日取りと関係があるんですね?
ある。大いにあるんや。「私たちの住吉さん」(※水田益弘著)にも、「祓いの理念、考え方は神道の根幹をなすものである」と書いてある。
なんか宗教っぽい話になってきそうですか?
まぁそうやな。例祭っていうんは、各神社が独自にもっているもんで、正月なんかよりよっぽど大事な祭典で、
この住吉神社は、春の祓いの日を例祭日に選んだということなんや。
はあ‥‥
それがたまたま旧暦の3月2~3日、つまり新暦の4月2~3日だったというわけや。
ま、だいたいそのくらい知っといたらええんちゃうかな。
そうですね。日本人は桜が好きやしね、ぼくも春が好きやしね。
そうそう。そういうこと。
■追記(2018):あまりええかげんなことばかり書いていてもいけないので、後に調べてわかったことを書き足しておきますと──
住吉神社は、明治以前まで酒見大明神と呼ばれていた。創建は養老元年(717年)。当初は黒駒村に祀られたといわれ、養老8年3月3日に現在の地に移された。ゆえに旧暦の時代は毎年3月2日、3日に祭礼が行われるようになった。3月3日は五節句のうち春の祓いの日である上巳の節句にあたることから、この祭礼は「節句祭」と呼ばれるようになった。明治時代に太陽暦が採用されてからは祭礼日が4月2日、3日となった。
──ということですので、ま、要は神社の引っ越し記念日というわけです。2017年、北条住吉神社はめでたく創建1300年を迎えました。
鶏合わせの謎
しつこいようですけど、鶏合わせには勝敗はないんですよね?けど、やっぱりどういうわけか、今年はどっちが勝ったとか負けたとかいうことを、大きな声で話題にしている人がいますよね。
しかもその人たちはみんな「西と東のうち、勝った方の屋台から先に宮を出る」と信じてます。「火のないところに煙は立たず」と言いますが、まったく根拠のないことやったら、なんでこんなに多くの人が同じことを言うんでしょう?
最初は勝ち負けがあったということは、はっきりしています。闘鶏やったんやから。けれど、いつのころからかわかれへんけども、勝ち負けはなくなった。
勝った方が先に帰るというようなことは?
絶対にあり得ない。そらまあ、年によっては、ケンカとかがあって、どっかの町が怒って先に帰ってしもたということはあるかもしれへんけども、それは鶏合わせとは関係ない。(←初めて自信をもって答える宮司であった。)
少なくともここ数十年に関しては、勝ち負けを決めたことはないんですね。
そうです。(←キッパリ)
あ、そうですか。(どーも釈然とせんなあ~と思いつつ・・・・)ところで、余談ですが、あの鶏合わせの鶏は、ただのニワトリとは違うんですよね。
あれは播州柏(ばんしゅうがしわ)いうてね、現在では珍しい鶏やね。「かしわ」いうのはかしわもち(柏餅)のかしわ。「木へんに白」と書く字や。まあ、もともとニワトリのことをカシワと言うねんけども・・・・
それは東京では通じませんよ。
え?通じへんの?カシワって。
通じませんよ。東京には「かしわごはん」というのはないです。「トリごはん」です。いっぺんそれで恥かいたことありますから、たぶんそうです。「べっちょない」が通じへんのんといっしょですわ。
それやったら尚のこと、播州柏は値打ちあるわ。
はあ??
しきたりは守りなさいよ!
最近はあまり聞かなくなりましたが、祭のあいだじゅうは鶏を食べたらあかんそうですね?住吉神社には鶏の神様が奉ってあるわけではないんでしょ?
まあ言葉は悪いかもしれへんけど、神事の「道具」というかな、神事に使う大切な生き物という意味やろうな。別に鶏が奉ってあるんと違う。
鶏を食べたらあかんというのは?
もちろん、あかん。我々の子供の頃はそうやった。一切食べさしてもらわれへんかった。そやからぼくは小学校まで、鶏やとかタマゴやとか、ほとんど食べた記憶がない。
ホーッ、それはかなり厳しいですね。祭の間だけでなしに、普段もそうやったということですね。
そうや。一般の人は節句の間の二日間だけ。神事に関わる人、屋台を出す人、特に御輿をかく人なんかはタマゴさえあかん。
ぼくらが子供の頃も、それは言うてましたわ。のり巻もあかんし、たこ焼きもあかんし、アイスクリームもあかん。それが最近、言わんようになりましたね。
市内の仕出し屋さんに弁当頼んだって、タマゴが入ってくるくらいやからな。こちらからはタマゴを抜いてくれとやかましく言うんやけどな。ま、なかなか抜いてくれないし、入っとったら皆さん食べてしまいよってやな。
ま、事故がなければそれでええんやけど。
でも食べるとやっぱり縁起が悪いんでしょう?
タマゴやニワトリを食べて具合いが悪くなった神職がいたという話はあるけどもな。我々が生まれる前の話では、ニワトリを食った人たちが鼻がパンパンに腫れて大変な目にあったという話も聞いたことがある。
まあそれは、たまたま食った鶏が悪かったんやろうと思うけどな。
今となってはどうでもええことなんですかね?
まあ、ぼくも普段は食べてるけどもね、やっぱり戦後の食糧難のときに食べるものがなかったという事情もあるわな。
あんまりそれをやかましく言うと、的屋さんも困ってしまいますしね。商売にならんっちゅうて。
まあ・・・・そういうこともあるかもわからんな。
けど、今は食べるもんはなんぼでもありますから、もういっぺん「鶏禁止」を徹底させましょか?
・・・・
「播州三大祭」の謎
北条節句祭りは新聞などで、よく「播州三大祭のひとつ」と称されるんですけども、ほんなら「播州三大祭」っていうのは、いったいどことどこのことか?というのは案外、知っている人は少ないと思うんですけども・・・・。
それなあ、ほんま、どこが三大祭なんやわからへん。けども北条の節句祭は、まあ間違いなしに入っとる。誰が言うても入っとる。
あとの二つとして、よく名前の出てくるのは、例えばどこですか?
よく聞くのは松原八幡のけんか祭。それから宗佐の厄神さん。その二つはよく聞く。ただ、宗佐は違うで、という話もあるし。
宗佐ってどこですか?
名前はよう聞くんやけども・・・・知らん。
ぼくは荒川の小芋祭がそのひとつやというのを神戸新聞で見ました。ぼくの連れは三木の祭が入ってると言うてますし・・・・。
なんやったら、もっと詳しい人に聞いてみたろか?(・・・・と言いながら、さっそく別の神社の神主さんにお電話を・・・・。)
どうですか?
ひとつは松原神社やろうと。で、北条の節句はやっぱり入っとる。で、もうひとつは、佐保神社か高砂神社のどちらかやろうと。このあたりでは佐保神社やいうとるし、南の方へ行けば高砂神社やというとる。
宗佐の厄神さんは、やっぱり違うと言うてる。祭の形式になってないらしい。あれは人が大勢、集まってくるだけで、いわゆる礼歳の形になってないという話や。
けど、笹屋さん(別のページのインタビュー参照)は、その宗佐の厄神さんと鍛冶屋の金比羅さんが入ってると言うてましたよ。
ああ、そう。
やっぱり誰に聞いてもバラバラですね。まあ、北条の節句祭が入っていることには異議を唱える人がないようですけど。
そやな。
けど「新御三家」みたいに「新・播州三大祭」というのができたら絶対ハズされますね。
・・・・
宮入では東高室に注目
どないこない言うても最近は、祭に勢いがなくなってきまして、宮入りといえども屋台を落としてばっかりなんですけども、そんな中で唯一、東高室だけは見事に息が合ってますね。
あれは練習をしてるらしい。すごい練習を。
けど、そんなん誰も見た人はいませんで。屋台をかく(=担ぐ)練習なんて、こっそりできませんやろ?
かく位置もちゃんと決められてるみたいで、常に入れ替わってるね。
ローテーションを組んでると?
いわゆるそんなもんやろね。やっぱり、その交替の練習もせなあかんやろし。
だとすれば、どこでどのように練習してるのかが、やっぱりナゾですね。
もう絶対に落とさないというのが伝統やから、そういう精神的なものもあるやろうし。
地下核実験場みたいなもんでもあるんでしょうか?
御輿の練習は一か月ほど前からしてるというのは聞いたことあるけどな。屋台もしてるんやろうな。それは東高室へ行って、様子を聞いてこないかんわ。
取材を申し込んだんですけど、なぜか電話を切られてしまったんです。残念ながら・・・・。
あ、そう。
だから、宮司さんなら何か御存知ないかと思いまして。
どんな人がいて、どうしてるか、いうのんは知らんわ。
気合いが入っとることだけは間違いないでしょうね?今年のカレンダーに屋台が半分しか写ってないっていうて苦情を言うてきはったんでしょ?
うん。まあ、それはええことや。そのくらい力が入っとるいうことはええことなんや。
やっぱり、この秘密は解明して他の町も見習うべきですね。
・・・・